葉音日記 (バックナンバー2000年編)
  2000.12.17 >>>
自分の身のまわりに起こるすべてのことが、ただの偶然なんかではなく必然なのだと考えていくとなんだかいろんなことから解放されて、肩の荷が降りるように思うことがあります。
波瀾万丈の私たちの人生においては、とんでもない目にあうことも多いのですが、だからこそ人の優しさが身にしみることも多々あり、そんな人々に触れると自分自身も少しだけ心豊かになれる気がするのです。
いろんなことはその時々のタイミングでおこってくるし、なんにも心配はいらないんだな〜、きっと!(経験者は語る!!)お店の窓辺で沈みゆく太陽を眺めながら、今の一瞬をいかに大切にしなければいけないのかをいつも考えています。今このときは二度と還ってこないんですものねえ…。
新しい工房はなんだかんだと遅れに遅れており、かなりお客様にもご迷惑のかけどうしで、大変申し訳なく思っています。そのかわり!?の仮の工房がようやく建ちそうかなあ〜ってところなんですけど…。どうなるんでしょうね〜わたしたち…。
新しいお店は立ち上げたものの…まるっきり、仕事をしていないので現金収入のほとんどない私たちは、毎年のことながら、正月は越せるのか〜!?っと、なんとも心許ない限りです。とほほ…の世紀はこれでおしまいにして、二十一世紀はど〜んとゴージャスにいきたいもんです。お仕事もプライベートも、もっともっといろんな楽しいことがあればいいなあ〜。
ここに引っ越してからの新しい出逢いもたくさんあってあれやこれやのプロジェクトが進行しそうな予感です。弱い人や困ってる人や悲しい人のために何かお役にたてればいいのにな〜って願っているのですけれど…。でもまず自分たちの暮らしを心配すべきかもね〜!!同じ貧乏でも、北海道時代を思えば、まっ、雪かきがないぶん、身体だけでも楽ちんですけどね〜。くよくよしてもはじまらないので笑って年の瀬をむかえよ〜っと!!がんばるぞー!!
 
2000.12.1 >>>
アイステージには有線放送がはいっています。
朝は穏やかにクラシック、お昼は波の音など聴きながら…、夕方はジャズでムーディに…。百二十坪ほどあるので、かなりのんびりゆったりでき、時間帯によっていろんな雰囲気が楽しめる空間です。
私は夕方の黄昏時が一番好き。ちょうど、西側のブースなので夕焼け空がとってもきれいです!以前の三階がまったく窓のない閉鎖的な部屋でしたからこの差はかなりのもんです。二ヶ月ほど遅れでようやく西陽対策の障子窓もはいりました。
また、ちょっぴり雰囲気が変わっています。十二月一日よりクリスマスっぽく模様替えも致しました。まだの方も一度来られた方もぜひどーぞ!!
 
2000.11.3 >>>
オープンしてからも怒濤の日々は続いています。まあ、三階のお店の時に楽をしすぎたのかもしれませんが…。
いろんな事務的なことがまったくできていないので、うちの引っ越しのお葉書をつくったり、アイステージのパンフレットを作成しなくちゃいけなかったりで、本来の業務というか木工家にはまったく戻れていない感じです。こんなことでいいのかなあと思いつつもなんだかいろんな人がやってきて取材もいっぱいだしなあ。本当に忙しくなってきたなあ〜って思います。おおげさではなく全く休みがな〜い!オカダ君はよく、つんくみたいに大忙しになりたがっていましたが、へんにそんなこと思ってるからそうなっちゃうんだよ〜っていいたいよ…。
私はやっぱり、山でのんびりが好きだなあ〜。もうすぐ紅葉の季節ですね。ふらふらと山登りにいきたいなあ〜って願っている今日この頃です。あ〜疲れたよ〜。働ぎすぎだよね〜
 
2000.10.20 >>>
何を思ってもダメな時と、何をおもっても全然うまくいっちゃう時があります。
その法則は一体なんなんだろうな。確かめてみたいけど、時間の流れを分析するとそこにいろんな風や空気が流れているってことなのかなあ。成功の法則や秘訣って必ず存在してると思うんだけど…。
時々、人生って、本当に夢叶うものなんだよねって思うときがあります。
こうなりたいって強く思って願っているとすべての物事が万事そっちの方向に流れていくことが…。チャンスの前髪をつかむっていうのはこういうことを言うのかなあって、若い時から時々そんな体験をしてるからかなあ…そんな風に実感する事があります。
だから、若者が来たとき、必ず、夢は叶うよって…ちゃあんと生きて考えて、未来をこうなりたいと願いなさいって、言ってあげます。だって人って思った人になれるんだも〜ん!必ず…。
それから…言葉がおりてくると感じることもあります。
あっ、だいじょうぶとかこいつはダメだとか…。全然、全くなんの前触れもなくその時はやってきて私を安心させてくれます。(別に変な宗教にかぶれてるわけじゃないよ〜)
神戸のためになりたいと私たちは帰ってきて、今、こうしてこのビルのため、果ては神戸の発展のために!?尽くそうとしています。私たちの力なんぞはほんとうに微々たるものだとは思うけど、念ずれば通ず、夢は必ず叶うんだと信じてね。自分が今何していいんだか、どうしたいんだかわかんない人はまず、お天道様を拝みなさい。誰かが、どこかで見ててくれるよ。自然の中で五感を澄ませて、そうして、とにかく手をうごかすの。なんでもいい…お掃除でもお料理でも、答えは自分の中にあるから、一生懸命自分に聞くの。そうしたら、突然、あっ!!!って具合に声がおりてくるんだ〜。わかったあ〜!!って返事ができるくらいはっきり聞こえるからだいじょうぶ。ガンバって…!なんでも最初はできないもんだ。練習が大切です。自分を信じて、自分の人生を探して下さ〜い。
 
2000.10.15 >>>
お久しぶりの葉音です。
あ〜っ、たいへんたいへん!!って…わけのわからない怒濤の日々もようやく過ぎ去りました。
今回は自分たちのことだけじゃないので、本当に本当にたいへんだったなあ〜。
一時はどうなることかと思いましたけど、人間やればできるんだっ!まあ、むちゃくちゃながらも、どうにかなっていくもので…、プレオープンの当日の朝まで工事現場でしたけど、ギリギリセーフでi-stageはなんとかスタート致しました。
こんなにゆったり、穏やかに家具を見せる空間は、きっと日本初じゃないのかなあ〜って、自画自賛!商業施設でありながら、こんなにも贅沢に家具を並べられるなんてそうそうないというか、普通じゃ考えられないことだと思うんですけど。細かいディテールに関しては、あれこれ気に入らない面もた〜くさんなんですけど、3Fのお店とは雲泥の差、ビルにいながらにして葉ずれの音が聴こえてきそうなお店になりました。ぜひ、遊びにいらして下さいねー。お待ちしていま〜す。
茅葺きの葉音が好きだった私はとっても幸せ!のんびりとはまだいきませんが、時々お香を楽しむ心のゆとりもでてきました。一番西の端のブースですので、夕焼け空がとてもきれいです。ただ、ビルの中ですから、火遊びできないのがちと、つまらない気がしています。これで薪ストーブがあったら最高なんですけどね〜。やっぱ、燃やしちゃしかられちゃうんでしょうねえ〜???一度やってみようかなあ〜!?
 
2000.9.17 >>>
ほんの少しずつですが、歯車がうまくまわってきたかな〜って感じです。
きっと、たーくさんの人たちが、私たちのために祈ってくれてるんだろうなあ〜って感謝しています。
昔、オカダ君がまったくもって無名の頃、東京のオゾンで北海道家具作家四人展というのをやったことがあるのですが、さすが東京!何人かの芸能人の人がプライベートで家具展のブースをのぞいてくれました。その中のおひとり、建物探訪でおなじみの渡辺篤史さんが、他の先輩方の作品には目もくれず、オカダ君の椅子を気に入って下さり、「気持ちがいいなあ〜。すばらしい!」って、と〜っても褒めて下さいました。奥様と子供たちがご一緒だったのにもかかわらず、こちらが恐縮してしまうほど、ずう〜っと、すわって眼を閉じてのんびりして頂いた想い出があります。当時はまだ、木工をはじめて二、三年。若手というか下っ端というか…、こんな椅子はすぐにつぶれるという陰口を言われて落ち込んだり、これから先もみえず自信も全然なくて、そんな中、あれほどまでに渡辺さんが褒めてくださったことが、どれほどの励みになったかわかりません。
その後、あの椅子は朝日新聞主催の椅子展で優秀賞をいただき、オカダ君の出世作となっていくのですから、やっぱ、渡辺さんは本物がわかるいい人なんだ〜って思ってましたね。
建築家の中村好文先生とも知り合った私たちは、渡辺さんの本を中村先生が挿し絵をかいていらっしゃることから、人と人とのつながりの不思議さを思いつつ、そんなこんなの御縁をつたって、思いきってお電話してみると、奥様もちゃ〜んと私たちのこと覚えていて下さいました。嬉しい!!そんなわけで、わたしたちのお店のオープン記念も併せて渡辺さんの講演会をご依頼し、めでたく十月八日にきていただくことが決定!もつべきものは人脈で〜す。
もちろん、予算をだしてくれたのはこのビルですし、ビジネスとしての依頼等は、ここのビルの方が事務所を通してということなんですが…。きっと、渡辺さんとも御縁があったのだなあって勝手に思い込んでいます。会いたい人にはまたいつか会えるもんですからね。
あ〜よかった。あとは、ちゃあんと、新しいお店ができるまで頑張るだけで〜す。それにしてもうちの床、まだオーストラリアから届かないんだけどだいじょうぶなのかしらん…?!
 
2000.9.3 >>>
いつもこんな時に思うのですが、新しいことの立ち上げのなんと苦しく、たいへんなこと!!
次から次へと問題にぶつかり壁にぶち当たり、こんな時はとにかく何か…目に見えないチカラだけを信じて突き進んでゆくしかないのです。
なんなのよ〜一体って、思うくらいわけわかんな〜い。何か事業をおこしたことのない人にはよくはわかんないだろうな〜って思いますが、人、物、お金すべてにおいてどこへどういうふうに展開していこうとしてるんだろう。は〜あって、ため息がでるくらい疲れてきました〜。
でも、きっとすべてのことが必然です。今、おこっているすべてのことがきっと、私たちに与えられた試練なんだろうなあ。少しずつでいいから、この新しい事業がいい方向ですすんでいきますように…。みなさんもパワーを送ってくださ〜い!!
このたいへんな苦しい日々を笑って話せる時まで…、とにかく自分を信じて前に進んでいこう!!。
 
2000.8.20 >>>
お盆はいかがお過ごしでしたか!?
どうする〜どうする〜ってずっといってたんですけど、今休まなきゃいつ休める〜?ってんでお盆休みを取りました。お隣の工事で、お休みの日も神経が休まらなかったので、人様が休みの時くらい少しほんわり過ごしましょうということになりました。
おじいちゃんの初盆だったので、お墓参りもいってきたし、久しぶりに三田の国立療養所に入院してるきよちゃんにも会ってきました。きょちゃんは、昔の園児でもあり、お友だちでもあり…。重度の障害を持っているのでおしゃべりはできないけど、「オカダ君とみっちゃんやで〜」っていうといつもにっこり笑ってくれます。前のお家の時はよく会えたんだけど、今はなかなか会えません。ベッドの上で頑張ってるきよちゃんの顔を見ると、う〜んわたしもがんばんなきゃって気持ちになります。とんでもない事態にまきこまれる度に、いつもきよちゃんに話を聞いてもらっていました。
今、進行中の大プロジェクトも成功しますように…。いつもいつも自分たちの器以上の、やったことのないこと…にどんどん突き進んでしまい、わけわから〜んと言いつつも今を楽しもうとだけ考えている私たちです。とにかく、前へ…。がんばります!!
 
2000.8.8 >>>
八月三日と打ったところで、そうだ!今日はヤンくん(うちのネコです。)のお誕生日だということに気がつきました。めでたく十歳です。もうすっかりおじさんなんだろうな〜。
今日からやんさんと呼ぼう!にゃんにゃんにゃんのネコの日(二月二十二日)とお誕生日くらいは大好きな缶詰をあげています。子供の頃、どんどん缶詰をあげていたら、肥満になっちゃって、おしっこの出ない病気になってからは普段はダイエーのカリカリのみで、グルメな缶詰はあげないようにしています。
ですから、昔の記憶が蘇るのか、缶詰のパカっという音を聞くと、ニャ〜ニャ〜ニャーって大騒ぎです。普段は、二十四時間のうち、まあ、二十三時間以上お昼寝してて、うんともすんとも言わないネコですので、やんくんの狂喜乱舞する様は、生き甲斐ないの〜?って思うほどにけなげです。ヤンくんに悪いので、私たちもお家ではシーチキン断ちをしてるくらい…。
十年も一緒にいるとほとんど仲間というか同志みたいな気持ちですので、う〜んと長生きしてもらいたいなあって思っています。お誕生日おめでとう!!やんさ〜ん!葉音
人間、群れをなすと責任の所在がなくなってしまうので、傍若無人となってしまうんですよね。特に日本人はそんな人種だと普段から思っているのですが、昨日、久しぶりにそんな目にあいました。
職人大学校とやらの若者がた〜くさんお店にきてのテレビ撮りがあったのですが、サンテレビの人はなんだか誰もちゃんとご挨拶のできない人たちだったし、(朝日テレビの取材の方々が、皆さん紳士的だったのでついつい比べてしまいます。)
生徒たちもひとりひとりはきっといい子なのだろうな〜とは思うのですが、うちの作品というか商品の取り扱いもとっても乱雑!!高いんだからさ〜もっと丁寧に扱ってよね〜って文句のひとつも言いたかったけど…オカダ君とふたり、団体はあかんな〜とため息だけが出ました。
前の茅葺きのギャラリーをやっていた時も団体のおば様たちのずうずうしく恐ろしかったこと!…後には傷ついた家具だけが残りました。悲し〜。私自身もがさつで、よくオカダ君には叱られているのですが、彼らもきっと、いつかもっと創ることの意味やたいへんさがわかったら、もう少し優しい気持ちで木と向き合うことができるのでしょうね。ガンバってほしいと思います。
 
2000.8.3 >>>
時々、なんてたいへんな人生なんでしょうって、生きてるのにすごく疲れてしまうことがよくあります。
何もかもから逃げ出して、山をながめながらのんびり暮らしたいよ〜んなんて泣き言のひとつも言いたくなるような状況にあうこともしばしば。そういう時ってたいがい何もかもなんだかうまく歯車があっていないんですよね。
こういう仕事をしているといろんな分野のいろんな方にお会いしますけど、上からものを言う人や、何かにつけ攻撃的な人に会ったりするとなんだかとってもイヤな気持ちになります。なるべくそういう方たちとはおつきあいしないようにしているけど、全体のおおきな渦のなかでは致し方ない時もあるようにも思われ、そのあたりがむずかしいなあって思ったりします。特になんでもお金お金っていう人が一番キライだ〜!!若い時にいわゆる文化人と呼ばれる方々と一緒にお仕事をさせていただいたり、芸術家の人とか、著名人とか、世間で一流と呼ばれている人たちに今まで何人か会ってきましたけど、その共通点は、皆さん、とっても謙虚で腰が低いというかあたりが柔らかいんですよね…。
えらい人ほどえらそぶってな〜い!ちゃんと、きちんと、生きていかなきゃってそういう方にお会いする度、背筋ののびる思いがします。こういうステキな人になりたいなって思います。けっこうちゃんとした会社の人が、電話の応対が横柄だったりするとがっかりしますよね〜。まあ、最近の事件をみても大企業のお偉い方ってなんかへんだししょうがないのかしら。
心地のいい仕事や夢のある生き方をこれからもしていきたいなあ〜。人とのつながりをビジネスライクに考えないで優しい気持ちでいきていけたらいいな〜。
そんなことばっかり、言ってるから「こっ、米がない!」ってあわてふためく人生なんだな…いつまでたっても…。まっ、それもまたいとよろしってとこでしょうかね。
 
2000.7.23 >>>
ボルボくんが動かないには、暑さのせいにして、冷やさなあかんねやわ…と洗車場でばしゃばしゃ洗ったら、そのまま二度と動かなくなっちゃって…。日陰もなにもないカンカン照りの中、一生懸命あれこれ試してみたけれどもうお手上げ。結局、いつも修理をお願いしている工場の社長さんのお手を煩わせることに相成り、オカダ君はいきなり足がなくなって仕事場へもいけず、もうやんなっちゃうよ〜。ここのところ、なんだかとっても疲れることばかり。やっぱり、夏は働いたちゃいけないんだよね、きっと。外国の人は本当にバカンスを十二分に楽しみますものね。こんな亜熱帯地方みたいな暮らしは、どう考えても、びしびし働いてなんていられないと思うなあ。街を歩いてる人も疲れた顔してるものね。ここ六甲アイランドは水遊びのメッカらしく、ただで水遊びが楽しめるとあって親子連れで大にぎわいです。子供は元気だなあって、横目で見つつ、よくまあ、毎日毎日プールにはいっていたよなあって昔の保母時代の私を褒めてあげたくなりました。
 
2000.7.22 >>>
北海道にいた頃は、ずっと夏がな〜いって嘆いていました。少しは暑さを感じないとねえなんて…。そんなことはすっかり忘れ、最近のなんじゃこりゃの暑さには、ほとほとまいってしまっています。札幌あたりの子はなんとか海で泳ぐということもあったようですが、それも焚き火しながらだし…、私たちは、ちっとも暑いと感じないので一度も泳ぎたいなどという衝動にかられることもなく十年近く過ごしてきたわけです。ふえ〜っ、でも、この頃の暑さはやっぱり普通じゃないよね〜。もう腕が太いとかいってる場合でもないし、肩をほり出して歩いています。釧路の女の子は、「私、生まれてから半袖をあまりきたことがないんです」って透き通るような肌で言ってたし、日本列島はやっぱりなが〜い!部活少女時代や保母時代は、ずっとトーストが焦げたみたいに真っ黒だったので、この歳になると鏡を見る度、しみしわがうらめしく、これ以上焼きたくないしなあ〜。久しぶりに北海道から戻って来たとき、なんて関西の人って色が黒いのかしらんとちょっと驚いたけど、こんなに日差しがきついんだもの焼けてあたりまえです〜。夏って始まったばっかりなんですよね〜いつまでこんな暑さが続くんだろう。
 
2000.7.11 >>>
ベランダのプチトマトがようやく赤く色づきました。田舎でいる時は、ずっと畑で野菜をたくさんつくっていましたので、お庭のない今の家ではベランダ栽培であれこれ育てています。北海道ではそんなに虫もいなかったのでわりとほったらかしだったけど、プランターだとお水もこまめにやらないとすぐしなしなになっちゃうし、青虫くんがいきなり香草を食べ尽くしていたり…やっぱり、全然違いますね。まあ、ほとんど水やりと害虫駆除はオカダ君のお仕事ですけど…。
ふたりして仕事一筋のこの頃では、お料理に時間をかけられないのでイタリアンや中華など和食以外のものをつくることが多いです。じっくり煮込むようなヒマもないので、さっと炒めたり、ただ和えたり、焼くだけ…なんてことがほとんど…。結婚当初ほどかちかちのナチュラリストではありませんが、砂糖はほとんど使わないし、化学調味料の味付けも苦手です。だから、どうしても外食だと口に合わない事も多く、家での食事の方がおいしいと感じます。家庭用の精米器ももっていてその都度、ほとんど玄米に近い2,3分附きにしてごはんも食べています。別に健康をすごく意識してるってわけでもないのですが、白米よりやっぱり、玄米の方がおいしいって思うし好きだなあ。二人とも保育園時代に(昔つとめていた保育園では、給食のおばさんがおらず、保母たちが食事づくりにかかわっていました。今はちゃんといるそうですけど…)給食当番で鍛えていますから…そのあたりの主婦よりは料理の腕前もかなりのものだと自画自賛しています。ただし、子供120人、大人18人分をふたりでつくっていたわけですから、めっちゃダイナミック、いい加減!!細かい計量なんてもちろんしないで、ほとんど感覚的でした。
当時はなんでこんな目にあわなあかんねーんって給食当番のまえの夜は眠れないほどでしたけど、若いときの苦労はしておくものですね…すっかりお料理好きになりました。ですから今もテキトー!だーいたいでバッとつくっちゃいます。味見もあんまりしませ〜ん。でも、けっこういけてるよ〜ん!!年いって木工できなくなったら、ちっちゃなレストランでもしようかなって…小料理屋 葉音なんてのもいいかもね〜。一日限定三組様みたいな…。
 
2000.7.7 >>>
いよいよ、三井ホームのインテリアフェアが新宿で始まっています。
一体どうなるのかなあ。一脚くらいはやっぱ売れてほしいよねえ。DMをみると特別出展なんて書かれちゃって、なかなかかっこいいんです!
誰か行った人どんな風だったか教えてほしいなあ。
最近、私のお友だちがお家を建てました。震災で全焼した地域です。紆余曲折、様々な事をクリアして、ようやく…の思いがします。北海道にいた頃、神戸に戻ってくると定宿にしていたお家でしたから、私自身もなんだかホッと…安心しました。(お家というより、お母さんとお兄さんと三世帯別々のまさにビル!!なんですけどね…)
彼女のためにテーブルと椅子をオカダ君がつくってくれました。新作の椅子は、とってもすっきりしたデザインで、彼女のイメージぴったり!私もとても気に入ってます。いつものように、一脚余分に つくってもらいました。直線的なラインがとてもスマートでシャープだけど、なんだか優しい印象の椅子です。
ぜひ、見にきてくださ〜い!!
 
2000.7.2 >>>
長かったような、でもあっという間だったかなあ…!?、こちらに移転して、今日で一年がたちました。
都会には都会の暮らしがあるように、私たちのお仕事の展開も、なんだかとてつもない拡がりを見せてきています。田舎でのんびりこっそり暮らしていたのならこんなことはなかったなあというようなことが次から次ぎへと身の回りで起こっています。
すべては必然なのだと考えるようにしてるけど、周りの環境が変わることで、新しい出逢いが生まれてくるのは、人生展開においてもきっとプラスなことなんじゃないかなっていつも楽天的に…、前向きに考えてるわけで〜す。
さてさて、この先一体どうなっていくのやら…今のところシークレットな事柄も多く、詳しくお伝えできないのがちょっと、意味深ですけどねえ〜なるようになるんだろうって思ってます!とにかく、楽しくいきたいよねっ。あんまり無理しないでさ…、二人とも無理のきかないお年頃になってきてるみたいですから。
先週、私は扁桃腺が腫れて熱をだしちゃうし…、オカダ君はいよいよぎっくり腰になりそうだって、カイロの先生のお世話になるし…夏バテやらいろんな要素があるのでしょうが、体力ないかも〜二人とも…。よれよれ〜って感じですもん、とほほ…。
 
2000.6.29 >>>
去年の今頃もこんな雨のなか、二人してお店の引っ越しをしたのを想い出しています。
こんな大きな什器の搬入をよくもやれたものだと不思議に思います。人間誰も手伝ってくれないとなるとなんとかやっちゃうもんなんだ…。いつ寝ていつご飯食べたのかもわからないくらい必死だったなあ。
そんなことを思うと二号店はいかがでしょうなんて、出店依頼のくる今は本当に幸せだなと思います。毎年毎年どうしてこうもいろんな事がおきるのかしらんと思うけれど、な〜んにも起きない人生よりはとっても刺激的で楽しいのかな。メール友達も世界に散らばり、あちこちでガンバっています。
ニューヨーク在住ジャズ界のホープ中村健吾くん(ちょーかっこいいベーシストで〜す!)を目標にオカダ君ももっと世界に羽ばたいてってほしいよ。健吾くんの嫁のきよこちゃんとは、同じ保育園の元保父保母仲間。結婚も同じ年だし、お互い子なしのディンクスなのでけっこう生活感ないところが似ているかもね。健吾くんは、ウィントンマルサリスや渡辺貞夫さんとセッションするくらいすごい人になっちゃったので、もっとオカダ君にもスターになってもらわねば…。
いよいよ、七月七・八・九日三井インテリアフェアが新宿で開催されます。岡田光司の代表作であるリゾートチェア&オットマンがついに全国デビューです。DM にもフェア特別出展と書かれており、ちょっとわくわくドキドキしちゃいます。どんな反響があるのかなあ!?と〜っても楽しみですね。
 
2000.6.24 >>>
同じビルのテナントの仲間に誘われて、オカダ君はカラオケルーム初体験をしました。
私たちは、ふらふらと旅人だったままなぜか結婚してしまったので、、デートらしいようなこともしたことはなく、都会的な場所に二人してでかけたこともあまりありません。野山を駆け回るとか、火を燃やしてなにか料理をするとかのワイルドなキャンプ生活は得意なんですけどね〜。
だから、結婚以来の都会暮らしがしんどい反面、新鮮な感覚もなきにしもあらず…。梅田や三宮の街をオカダ君と歩いたりするのさえ、なんだか不思議に思えたりします。
あまり、夫婦っぽく見られないのか、一緒にお食事にいっても、お会計の時に「別々ですか?」ってよく聞かれます。他の男性だとそんなこと言われないのに…。よっぽど、オカダ君は貧乏くさくみられるようで、決しておごらない風に見えるのかしらん?あまり、生活感のない二人らしく、どうも、結婚しているようにも見えないようで…北海道の木工関係のパーティでも、ちゃんとご挨拶しているにもかかわらず、誰?って私のこと後でこそこそ聞かれたりしてました。オカダ君がいつもちゃんと紹介してくれないのが悪いのですが、めんどうくさいので、最後の方は自ら、嫁です!って宣言するようにあいさつしてましたけど…。それくらいしないと一体何者なのかわからないらしいです。
私ってそんなに変わってみえるのかなあ〜!?私の昔のお友だちには、これがみっち(小学校の時からのあだ名です)のだんな〜!?って驚かれるくらい、まあ、オカダ君はまったく私の好みのタイプではないからしょうがないのかも…。
カラオケは消費カロリーとか出るし、みんな慣れてて、ちゃんと自分で操作して音程も変えられるし、なんだかびっくり!!でした。久しぶりに大声を張り上げて大騒ぎ!楽しかったで〜す!!
でも、やっぱりオカダ君はカラオケがどーも似合ってなかったな〜。
 
2000.6.12 >>>
最近、オカダ君は岡田光司のクローンがほしいほしい!といってます。あれこれいろ〜んなしなくちゃいけないことが山ほどあって、少々、お疲れ気味なんです。
私はそんな歯のでたクローンじゃなくて、ぜったい、ジャニーズ系がいいんやけどなあ。私たちが、ちゃんとしていない人間ですから、人を雇うなんてこと…ちょっと、考えられないんですけど、いつかはそんな立場にもなるのでしょうか。
だいたい、二人とも群れをなすのがキライだし、組織で生きられないから独立してるわけだし。オカダ君はひとりぼっちで、もくもくとお仕事するのが好きみたい…世の中の職人さんはみんなそうですよね。オカダ君の場合、特に近くにいる人が無性に気になってしまうらしい。
わたしなんて、家で怒られてばっかりです。目が悪いので、よくTシャツとかパジャマとかを裏返しに着てしまっているんですが、ちゃんと、見たの〜って、しょっちゅう注意を受けています。瓶のふたが開けっ放しだったとか、こんなところに靴下おいて〜とか、しゅうとめより恐るべし!前世は、私のおかあちゃん(もしくは、ばあや、乳母か…)だったのかも〜。オカダ君なんかの弟子になると、苦労すると思うよ〜、きっと。
まあ、本人は、絶対、弟子はとらないって断言してますけどね…。(これは、自分が弟子になったことがないので、弟子の気持ちが全く理解できないからだそうです。)でも、明るくて、器用で、ちゃんとあいさつできる子で、根性もあって、かっこよくて、おしゃれで〜、世の中お金じゃないやいって心から思ってて、朝から晩までお仕事してもなにひとつ文句も言わず、そいでもって、ここが一番大切なんですが、やっぱ、オカダ君の作品がだ〜い好きって言ってくれる人だと少しは心動くのかもね〜。
この時代、仕事があるだけでも有り難いんですが、な〜んか、雪に埋もれて歌ばっかり唄ってたあの日がなつかしい〜!同じびんぼー暮らしならば、やっぱ、田舎の方が楽しいなあ。都会じゃ、お風呂でだって、大声で唄ったりできないし…。お仕事いっぱ〜いして、都会で必ず成功して!一日も早く田舎に引っ込めるよう…ガンバるぞ〜!!
 
2000.6.10 >>>
子供のころ、ずっと、大人になんてなりたくないって思ってました。
だから、十七歳のころは、いよいよ大人の年齢に近づいて、特に精神的にもとっても不安定だったように思います。なぜ私は生まれてきたのかしら?なぜ、私は生きてるんだろうって、そんなことばかり考えてました。できたら消えてなくなりたかった。別に自殺願望があったわけじゃないんだけどなあ…、朝、目覚めると、この世から自分の存在がなくなっていればいいのにって、何度そう願ったかわかりません。
みんな多かれ少なかれそんなことを考えたりする年頃なのかしら?!でも、オカダ君はな〜んも考えてなかったって言ってたし…そのあたりは人それぞれなんでしょうけど。私の場合あの時代は、生きる希望や生きる意味についてとりわけ真剣に悩んでいたように思います。まわりの大人たちには、めいっぱい反抗してましたね。だって、だいっキライな大人がいっぱいだったんだも〜ん!!だから、最近の十七歳の事件など、心痛めることが多いです。若い子をみても何あの子?なんていう大人にだけはならないでおこうと思い続けてきました。今を受け入れることが大切で、批判や否定はどこか大人の側の傲慢のように思えます。ただ、やっぱり、していいことと悪いことがあるよ〜。人を傷つけたり、命にかかわるようなことは絶対やってはいけないことです!そんな人として当たり前のことができなくなっちゃうくらい、自分のことを好きになれないなんてとても不幸なことだと思います。すべては自分にかえってくるのに…。いいことも悪いことも…ね。平和の世に生まれたことをよかったと思う反面、心のとげとげはいつの時代もなくならないんだなあって思うと悲しくなります…。
 
2000.6.5 >>>
とうとうオカダ君に特別講師の依頼がやってきました。
僕くらい椅子の知識のある木工家はそうそうおらへんで〜っていつも自画自賛していたので、まあ、いい機会なのかもしれません。
北海道にいた頃、私たちもよくいろんな偉い!先生方の講演会など聞きに行ったりしていたのですが、必ずといっていいほど、お話のあとにスライドの上映会があります。「いつかボクも講演会を頼まれたときのためにちゃんとしとかなあかん…」といって、独立した無名の頃の初期の作品からすべてをスライド写真にきちんと納めているオカダ君です。そのあたりがずうずうしいというか、しっかりしているというか…関西弁でいうと、この人あほとちゃうか〜ってところなんですが、こうやって、現実に講師の依頼などくると、まじ〜!?ってことになるわけで…。
お米を買うのも大変だった当時は写真のプリント代もばかにならず、スライドは特に高いのでどんどん増えるポジフィルムを横目に上映会はいつでんねんって、ずっ〜と嫁としてはあきれていたわけなんですけど。まあ、これで少しは元をとれるのかしら!?古い作品や廃屋に暮らした土地のスライドなどをみると、ただの個人的な想い出づくりとちゃうのん!?講義の内容としては如何なものか?って気がしないでもないんですけど…。
まっ、いっか〜こんなちゃらんぽらんな木工作家がいるというだけで若者の励みになるやも知れず、それなりにおもしろい企画ものになるような気がしないでもなし…。牛の背中にのってるカウボーイ姿もあったりで…都会の若者はきっと喜んでくれるかな?皆さんの感想が楽しみで〜っす。いよいよ名実ともに先生って呼ばれちゃうんだねえ〜。ひゃ〜それでいいのか〜って笑っちゃうけど…まあ、一日限りの特別講義ですから、なんとかなるのかな。おかだせんせ〜、ガンバってね〜!!
 
2000.6.3 >>>
北海道の友人が新鮮なアスパラをどばっと、送ってくれました。
アスパラが生えているとこみたことありますか!?私は、札幌のお家のお庭(お庭だけで150坪あった!!)ではじめてアスパラがにょきにょきと生えてるさまをみて、とーってもびっくり!感動しました。夕方、仕事から帰って、ポキッって、アスパラをつみ、さっとゆでるだけで下の茎まであま〜くておいしいんです!!摘みたて、もぎたて、取りたてはやっぱり鮮度が違います。
うにやいくら、ほたてやたらこ新鮮な魚介類は味が違うのだというのも知りました。私たちは、北海道でかなりグルメになった気がします。ですから、外食したおりなど、口にあわずまずかったりしたらとたんに不機嫌になっちゃいますね。
最近は、食生活もやや乱れ気味ですが、おいしいごはんを楽しく食べることがやっぱり身体にとっては必要なことだと実感します。手抜きしないでがんばってごはんをつくろう。オカダ君の方がほんとはお料理もうまいんですけどね〜。あんましつくってくれなくなったからなあ。ずっと、オカダ君が主夫だったんだけどなあ…。ザンネンムネンです。
 
2000.5.31 >>>
先日、納品で岡山までいってきました。
ぼろぼろボロボくん(十年落ちのすでに十二万キロ走ってます。)での納品なので遠出はかなりどきどきものです。たぶん、古いせいなのだとは思いますけど、夏になるとすごく調子もわるくなって…、なんだかいきなりエンジンが止まっちゃうんですよね〜。一体なんなんだーって去年は不安いっぱいでしたけど、人間、慣れは恐ろしく、暑いもんね〜っ、北欧生まれだから暑さが苦手なんだよね〜って、少々のトラブルには動じなくなってきました。
北海道の廃屋暮らしの時もそうでしたけど、私たちの暮らした何軒かの家は当たり前のようにすべて雨漏りしました。巣がもりっていうんでしょうか、雪が屋根にたくさん積もって、解ける時に屋根のすきまに雪解け水がたまっちゃって…、最初はたいへ〜んどうしよう〜って雨が降る度、雪が解ける度に右往左往状態、でもよ〜く考えたら、雨漏りしたからって死ぬわけじゃなし、またやまたや〜どこどこ〜って洗面器やらバケツやらで受けてました。雨漏りするならするように暮らしてけばいいんだよって。一様、都会の娘の私でしたが、自然に対してはいくら抗っても、ちっぽけな私たち人間のこと、到底太刀打ちなどできないんだって、厳しい北海道の環境の中で学びました。
まあ、私たちの暮らしがあまりにも普通ではなかったのかもしれませんけど…。きっと、北海道でも地下鉄沿線の小綺麗なマンションならば、絶対、本州なんかより楽に暮らせるだろうなあと思いました。みんな、通勤時間は15分とか30分で…。旭川の人なんて、5分10分でしたから、30分くらいと答えると「それは遠いわねえ〜もっと街に引っ越してきなさいよ」って言われましたもん。東京の人が聞いたら怒られちゃいますね。その土地の空気みたいなもの、波動みたいなものなんとなく感じることのできるもの、そういうものが生きていくうえでは一番大切なんじゃないかしらって思っています。
 
2000.5.25 >>>
今、お世話になっている徳永工房(工房を間借りさせていただいています)のお弟子さんのひとりである後藤君が、神戸、三宮のギャラリーみうらで23日から初個展をやってます。
ドタバタのここ何日間を聞いていると、オカダ君の初個展のことを思い出しました。
私たちは当時、まだ札幌に暮らしていました。私といえば現金収入を得る係りでしたから、歯医者さんの受付嬢?をやっていて、個展会場である神戸にはついていけませんでした。震災のあった年の暮れで、今思えばよく個展など開催できたものだと不思議に思うほどです。
本人もそうですが、私の中でもかなりの意気込みと不安と…。オカダ君の個展にも期待はありましたが、それ以上に久しぶりにひとりを満喫できる喜びもあって…。札幌の十二月はほとんど大雪がふることもないというのが普通だったのですが、私の日頃の行いがよっぽど悪かったのでしょうか、市政始まって以来だかの大雪で…今までどんな大雪の時も止まったことのない市電は動かず、自衛隊が出動するような緊急事態!!雪かきをしてもしてもしてもどんどん雪は積もってくるし…何なのよ〜一体!!そういえば、オカダ君は個展に出掛ける日の朝、大雪による渋滞で船に乗り遅れ…あれが後のたいへんさを予言していたというわけです。
私はわけのわからない雪国にひとり取り残され、屋根は雪で押しつぶされそうになってくるし、一度開けた扉は雪の重みでちゃんと閉まらなくなるし…。それでも朝から早起きして家のまわりの雪かきを…、仕事場でも、それから帰ってからもせっせせっせとがんばってました。私なりに一生懸命…。そんな何週間で悟ったのは、こんな自然の厳しい土地で、女ひとりは絶対生きていけないわ!!ってこと。慣れない大量の雪かきと仕事のストレス、震災によるPTSD(実家は全壊、仲良しのお友だちの家は全焼で、とにかく、生まれ育った街がな〜い!っていう異常な状況でしたからね)で私はそのあと、体調をくずし精神的にも肉体的にも疲れ果ててしまったのでした。そんないろいろなことが神戸に帰ろうかな〜って気持ちに傾いたのかなあ。
初個展は、私たちにとっては、すご〜く大転換期となった一大イベントだったんです。どんなことも初めてのことっていろいろたいへんで、自分の力でやったことのない人にはわからないと思いますけど…すごくしんどくてわけもわかんなくてこれで良かったのか悪かったのかって、いろいろ考えて…。でもすべて、人生に起こってくる出来事はひとつらなりにつながっていくように思われ、あの日があるから今の生活や暮らし方に至っているんだなあって感じです。ただ、何か新しいことを始める時のまわりの人たちの対応が、すごくおもしろい発見でした。
例えば、公務員的な、ぬるま湯といっては失礼だけど、組織の歯車のひとりとしての人生しかしらないひとたちは、すごくうらやましそうにすごいねえって感嘆の声をあげてくれるか、それとも、大丈夫〜ってかんじでちゃんと食べていけるの〜って、憐れんでくれるかどっちかで…。何か、事業を自分でおこしているような人々、自分の力で人生切り開いてるぜってタイプの人は、自分の力で歩いていくことがどんなにたいへんか、その苦労がわかっているので暖かい目で応援してくれるんですよね。
どんなこともどんな時も自分がちゃあんとしていないと誰も応援してはくれませんが…もはやこれまでと思った時は必ず、誰かしら何かしらの助け船があらわれるもので、そういう人たちやものに感謝することでまた新たな展開に突き進んでいけるように思います。いつもいつもどうしよう〜ってことばかりの私たちですけれど、いつも何か誰かに守られているように思います。生きているといろんな壁にぶつかってばっかりで…なにもかもから逃げ出したくなるくらいイヤになっちゃう時もありますが、いろんな壁を乗り越えていくからこそ見えてくるものもあるわけで…、ひとつひとつのことをなんとかクリアしていく度に、自信がついてきて、強くたくましく打たれづよくなっていくんですよね〜。
何か始めたい!何かを変えたい!って思ってるあなた、いつ始めたっていいんです。今を大切に…今日が最高だと思える人生を〜お互い楽しめばいいじゃないの!!そう思うんだけどなあ〜。
 
2000.5.20 >>>
ちょっと、前まではコンピューターを勝手に使わせてもらえませんでした。
機械音痴の私は全く信用がなかったわけで…。でもオカダ君は、あまりの忙しさについに音をあげ、メールの返信くらいならばと、ノートブックのほうのみですが(デスクトップはダメなんだって〜)お許しがでました。
ですから、最近、葉音日記のほうも少しはまめに打てるようになったし、メールの返事も自分で出来るようになりました。やった〜!!初代、共通一次っ子の私たちは、きっと、コンピューターが使えるかどうかのあやうい世代だと思われ、全く機械がダメで、ファックスすらもっていないなんていうお友達もいるし、何とか若者に負けないよう、時代の波に取り残されないように、がんばってる私みたいなのもいるわけで…。
将来、あの人、昔の人やからメールとかできひんねんで〜…なあんてことを言われないようにしたいもんだっていうのが私の中での合い言葉です。オカダ君にひっぱられるように何人かコンピューターに足を踏み入れた知り合いもいて、やるかやらないか、それは本人次第ですけれど、世の中、知ってるか知らないかは随分、楽しみ方が違ってくるように思われます。
生きることは、やっぱりたくさんの知ることで始まるのだと思うし、学ぶことは変わることなんだって思っています。メールのおかげで、遠くの友人(北海道、カナダ、スイス、ニューヨークなどなど)とも当たり前のように連絡がとれますし、近くのお友だちなんかよりも、遠くの友達のほうがむしろ身近に感じることが多かったりして…。
この時代、すごく流れが早くて、ついていけないことも多いのですがアップアップしながら、まあ、今を楽しく私なりに生きようと思います。
 
2000.5.11 >>>
ここのビルに移転してから、はじめてのゴールデンウイーク。
おしゃれなインテリジェントビルの中の一介のテナントですから、今までにようにお休みを、てきとーに取ることが出来ません。こちらのビルの定休日が水曜日なので、うちもそれに合わせて水曜日ということになっております。時々、その定休日と祭日が重なって…悲し〜。今年も三日が祭日だったので、お店を開けました。
それでなくても、週に一回のお休みだけなんて、働き過ぎだ〜って思っているのに…。祭日だと二週間もぶっ通しで働かなくちゃいけないわけです…とほほ。私の場合、のんきにお留守番しているだけだと思われてますけどね。まあ、その通りといえばそうなのかもしれないけどなあ〜。人生、こうやって働き盛りというお年頃があるんでしょうか…。今日を今を楽しく生きねば…と思っているだけなのにー。それでも、ここにいるといろんな人が訪ねてきてくれるので、結構刺激的で楽しいです。特に若い人や外人さんはおもしろいよ〜。
やっぱり、働きすぎはよくないよねってんで、火曜日の午後からずる休み…。(水曜日だと展覧会がお休みという理由もありましたが)万博に岡本太郎展を見にいってきました。
初めて、中央入り口の駐車場に車を止めたので、太陽の塔を真正面からながめつつ、歩くコースにすごく圧倒されました。万博の年、小学校の四年生だったからそれなりに記憶も残っており、あ〜この年にこのイベントを体験できていてほんとに幸せだったなーって改めて思いました。だって、たくさん、若者も見に来ていたんですが、、万博の展示などながめつつ、見たかったなあ〜って、ため息まじりで言ってたりしたのでなんだか得した気分になっちゃいました。オカダ君はいまいち昔のことなど覚えていない人なので、あんたこんなん覚えてる〜?って…、展示物を見ながら言ってましたけど。しょうがないよ、オカダ君はまだ、当時、ちっちゃかったんだしー。今だともっと、いろんな館を必死で見るに違いないね〜。蒼々たるメンバーの建築物がたくさんだったんだね〜。と二人して感心しきりでした。そんなことわかんないから、私は、みんなが並んでようやく見たという月の石も見なかったしなあ。あんまり並ばなくても、すぐに入れる所ばっかり見ていたんだきっと…。ただ、唯一、子供心ながらに住友子供館の大壁画に感動して、楽しそうだなあって思った記憶があり、その絵を灰谷先生と子供たちが書いたものだと後々知って、あ〜私もこんな先生と一緒に絵を描ける子供時代がよかったのに…って、残念に思ったことも…。もちろん、岡本太郎展はとってもよかった!一番見たかった若かりし頃の作品「痛ましき腕」も生で見ることができたし…。造形物もどれもこれもおもしろかったし…。なんでもやりたいようにやりなさいって…、枠にはまらないで思うままに生きなさいっていわれてるような気がしましたね。たまにはこんな風に芸術に触れてリフレッシュするのって大切〜私の中のいろんな記憶を呼び覚ませる…なかなか楽しいずる休みの半日でした。
 
2000.4.30 >>>
岡田光司さん  プロダクトインテリアデザイナー 作家
「いま、日本でもっとも注目されている作家のひとりと言われている。」五月末、発行予定の朝日新聞の小冊子のインタビュー記事の一節です。
一体、だれに注目されているんでしょうねえ〜。いろんなメディアに紹介していただけるのは、もちろん光栄なんですけれど、こうやって、マスコミによって、どんどんエラい?先生はつくられていっちゃうんだなあ…と世の中のからくりを実感!いつのまにやら、オカダ君は作家であり、プロダクトインテリアデザイナーなんだー、知らなかったよ〜。お互いの暮らしぶりが、さほど変わったとは思えないけれど、注文して下さるお客様がどんどん増えてきていることは確かです。
そのことはとっても有り難いことなのですが、なにぶん、ひとりぼっちですからねー。何月何日までにどうしても…という方の依頼が優先的となり、いつでもいいですよ〜なんておっしゃって下さるような方はそのご厚意に甘えきって、季節はどんどんすぎてゆく…。
ホームページをあまりリニューアルしていないので、お伝えできていない作品も多いのですが、このところ、デスク、ベッド、チェスト、サイドボードなどなど、収納関係もたーくさんおつくりしています。
目下のところは、大好きな椅子づくりから遠ざかっているのが、悩みのタネ。「あ〜、の〜んびり、好きないすつくりたいなあ〜」はあ〜って、ため息まじりの今日この頃のオカダ君です。
椅子の注文もちゃんと頂いているんですけど、ゆっくり、じっくり新作を考える時間がほしいようです。注文の全くなかった頃を思えば、何だかとっても、ぜいたくな悩みですよね。
 
2000.4.28 >>>
そんな…のんきなことをいってると、いきなりお隣りが建て替えのためにつぶれてなくなりました。
今まで見えなかった部分が道路からあらわになって、ちょーかっこわるいです。我が家は、築何年かわからない借家なんですが、震災の影響もかなりあったんでしょうね。あちらこちら、ひびわれを修理した形跡があります。
でも、お隣がなくなって、すごーくすごーく明るい!!幸せ〜!三方を背の高いお家に囲まれ、全く日の当たらない家でしたからね…。お台所が突然明るくなっちゃって、電気つけなくても平気なんですもの。
ずっと、北海道では、陽当たり抜群っていうか、お隣りがないような田舎だったというか…そんな感じでしたから、久しぶりに日の光を浴びて、朝から元気出ちゃいます。新築される家は、木造三階建てらしいので、この明るさもあっという間に終わっちゃうことでしょうが、ほんのしばらくといえどもほわっと出来そうです。
人間やっぱり、お日様にあたってないとねえ〜、なんか暗ーいもん。やんくんもなんだか朝からそわそわして、洗濯機の上でくつろいでいました。
窓からのぞいても、牛さんはいませんよ〜。(やんくんは十勝芽室町生まれ)
 
2000.4.19 >>>
今年はずいぶんゆったりとした心持ちで桜を眺めることができました。
昨年の今頃は、サクラどころではなかったことを考えると、よりいっそう穏やかで優しい気持ちになれました。
住吉山手は言わずと知れた御屋敷町なので(何度もいうようですけれど我が家はすご〜くちっちゃいんですけど…)自宅に桜の大木!をお持ちの豪邸も少なくありません。
ちょうど、お隣りの桜の枝がうちの二階の窓を覆うように咲き乱れ、ふと遠くに目をやれば、これまたお向かいの桜もとても見事で…。バス停からの帰り道には、あちらこちらに桜吹雪が舞い散って、ほんのひととき、時空を飛び越えていくような不思議な感覚に陥ることもしばしばでした。桜の花が、これだけ悠々と咲いていると心までおおらかになっちゃうってもんですよね〜。
それも自宅にいながらにしてお花見が出来るなんて…幸せ〜優雅!!(洗濯物に囲まれてがちょっと侘びしい!?)我が家のやんくん(ネコ)もさくらの花びらがハラハラと散りゆくさまをじ〜っと不思議そうにながめておりました。思う存分、借景を堪能でき、なんだかとっても特した気分の春のはじまりかな。
 
2000.4.11 >>>
私たちの勤めていた保育園というのが、その業界ではかなり一世を風靡したといいましょうか、変わった?といいましょうか…。とにかく、ほんの少しずつ、いろんな面で他の保育園とは違っていました。
子供たちにも、先生と呼ばせることはなく、名前で呼んでもらっていたのです。私のことは、みんな「みっちゃん」と呼び、オカダ君のことは、「おかだ〜」だったり、「おかだにいちゃん」だったり…。その延長で、ついつい、昔の同僚の如く、「オカダ君」と呼んでしまうくせが直りません。いつのまにやら、有名人になってきちゃったオカダ君なので、ちょっとは呼び方も工夫せねばとは、思っているのですが…なかなかねえー。だって、私は、一様、オカダ君を面接した側の元先輩保母。五年目の保母と新米保父じゃ、立場が違うってもんでしょうー!?だから、これから先も、エラそうに、呼んじゃうんだろうなあ〜たぶん…。
まっ、しょうがないですよね〜。なんとなく、変に思ってる皆さん、そのあたりの事情を察して下さいね。その場の状況に応じては、きちんと、主人が…とか岡田が…って言ってるんですけど、主人だって〜ヶヶヶって、心の中で大笑いしています。
保育園時代、よく子供たちから質問を受けることがありました。
「みっちゃんって、おとなー?こどもー?」「こどもやで〜」「なんかちょっと、おおきいなあ〜」「だって、おうちかえったら、おかあさんおるも〜ん。おむかえにきてくれないけど…え〜ん(泣きマネあり)」「なーんや。やっぱりなー。あそんでばっかりやから、こどもとおもとってーん。よかったなあー。こどもはおしごといかなくていいもんなあ〜」「そやそやー」私はいつもパンツの替えを持参するくらい、どろんこになって、真っ黒くろになって、遊んでばかりいました。
そんな、子供たちも今春、高校を卒業。大学生やら社会人になりました。おめでとう!!みっちゃんとオカダ君は…といえば、いまだにちゃんとした大人になってないような…。遊んでばっかりみたいな人生だけど、そんな大人がちょっとくらいこの世の中にいても、楽しいと思います。「よく働き、よく遊びなさい。」当時、理事長だった作家の灰谷健次郎先生はそう私たちに言いました。
この年になって、なんとなく、先生のおっしゃった意味がわかる気がしています。まだまだ、やりたいことがいっぱ〜い。ちゃんと働いて、ちゃんと遊びたいと思いま〜す!!
 
2000.4.9 >>>
蒼々たるメンバーの作品に混じって、三井ホームさんのカタログにオカダ君のリゾートチェア&オットマンが、掲載されました。
まきストーブの横で、四苦八苦しながら、籐を編んでいる岡田君にむかって「めちゃ、貧乏くさい後ろ姿やわ〜、江戸時代の傘貼り職人みたい…。二度と籐の椅子なんてつくらんといてねー!!」って…。今にして思えば、とっても、いじわるな発言をしてしまったことを反省しています。
外国から洋書を取り寄せ、「あー、わからんわー。どうやって編むんやろ…」と泣き言いいつつ、手のひらをあっちこっち、籐で切りながら悪戦苦闘したかいがあったのでしょうか…。初めて編んだ、籐の椅子だったのにもかかわらず、その後、北海道のコンペで金賞を取り、全国レベルで、優秀賞を頂き、そうして、三井ホーム、qualityのカタログに載ってしまう作品になっちゃうなんて…。誰が予想したことでしょう!!
すごーいすごーい!!ル・コルビジェ、フランク・ロイド・ライト、ハンス・ウェグナー、世界の名だたるデザイナーに並んで、岡田光司くん、ついに全国デビュー!?です。おめでとう!!とりあえずはよかったのかなー?。
どんどん、売れたらもっと、嬉しいですけどね。三井デザインテックのインテリアコーディネーターの皆々様、どうぞ、よろしくお願い致します。
私、一脚も売ったことがないので…ちょっと、信じられないんですよね〜、未だに…。本当に岡田光司でよかったんでしょうか…!?
保育園の実習生だった頃のオカダ君(二十歳くらいだったのかなあ)を知っている私にはなんだかとっても、不思議な出来事が続いている気がします。
 
2000.4.7 >>>
最近の木工志願は、やたらと女の子も多いです。
めちゃくちゃ、重い、重い、死にそうなくらい!腕がちぎれちゃうくらい重いテーブルの納品に、(五歳児並みの力しかない私がいけないのだと、おかだくんにはいつも、呆れられていますが…。)
何度かつきあった私としては、「木工をやりたいんです」なんていう若い娘の気持ちが全くもって理解できません。
「なんでー、汚い仕事よ〜。爪とか真っ黒になっちゃうんだよ〜重いし〜。」といつも言ってしまいますけど、みんな真剣なまなざしで、「やりたいんです!!」って答えます。
染めとか織りとか、陶芸やらガラスやら…つくる仕事はいっぱいあるのに、どうして木工なのかなあー???不思議で不思議でしょうがない!。確かに木に囲まれていると落ちつくし、優しい気持ちにはなれるけど。
フィトンチッドが心に安らぎを与えてくれるっていうのは、わかるけどさー。何もそれを職業にしなくてもさー。
ここ何年もよそいきのお洋服を買っていない私は、木工=貧乏の構図が完全に出来上がっており、いつも心の中で「やめた方が、いいんじゃな〜い」って、大きく叫んでいます。
でも、やっぱり、お金じゃないよ、人生は…。好きなこと楽しいことをして生きていければ、そのほうがいいに決まってる!「至誠、天に通ず」です。心に強く願ったことは、紆余曲折しながらも…、たとえ時間がかかったとしても、必ず、きっと、夢は叶います!!
木工家志願の男の子、女の子、ガンバってください。
 
2000.4.1 >>>
厳しい冬と戦っている北海道の人たちは、(特に地方の郊外の人々は当然のごとく)家中のちょっとした修理は、何だって自分たちでやってしまいます。そりゃそうだ、いざ、助けてーっていったって、なかなか何10キロも車とばして助けになんて来てくれないもの。自分たちの暮らしは自分たちで守る、そんな気概がないとマイナスの極寒の生活を堪え忍んでなんていけません。
私たちの暮らした最初の廃屋は、十勝の廃校後の教職員住宅でした。もちろん、行ったことのないところですもん。つてやあてがあったわけではありません。まず、家さがしはイメージからだ!。自分たちがどんな所でどんな暮らしがしたいのか…!?とりあえず、地図を買ってきて等高線をみます。
山が近くて〜、川もそばを流れていてほしいし〜、陽当たりはもちろんよくないとね…。ネーミングも大事よ。変な住所表示じゃかっこわるいじゃ〜ん!てなわけで、芽室町雄馬別は、ドライブがてら行き当たりばったり、私たちの思いこみ、行動力のみで見つけた物件で〜す。近くでトラクター動かしてるおじさん(後の大家さん)に「あの家、空いてます〜?貸してくださ〜い!」ってね。
2DK一戸建て、庭は運動場、家賃はちなみに三千円。はじめての、水道管修理、ペンキ塗り、薪ストーブ、石炭のお風呂。にんじんもビールもシャンプーさえも凍る北の果ての暮らし。
いつもいつも、アーアーあああああ〜!!って、北の国からのテーマ唄ってましたね。まる二日、村人に助け出されるまで家ごと雪に埋もれてたこともあったしなあ〜。都会の娘の私としては苦労の連続だったけど、今想い出すと、やっぱりなつかしいですよね。
 
2000.3.29 >>>
結婚してすぐ北海道で暮らし始めた私たちの最初の落胆は、あまりのパンのまずさでした。(今ではもちろんおいしいパン屋さんもたくさんできましたよ。)
近くのコープさんにいくとそのほとんどが豆パンで占められており、何じゃこれ!甘納豆がパンに〜入ってるや〜ん!!その驚きも覚めやらぬうち、お赤飯も甘納豆入りだと知って愕然…。日本列島は広いなー、世の中知らないことがいっぱいあるんだなーって、しみじみ思ったと同時に、神戸人はおいしいパンとケーキを幼少の頃から食べてきたのだわ…とほんのちょっぴり泣けてきました。
そうして、一念発起「よ〜し、パン屋さんになるぞ〜!!」と決心。でも、私って、低血圧で朝は苦手なんだ。早起きしなくちゃいけないパン屋になんてなれるわけないじゃーんって、すぐに悟りましたけど…。でも、朝食のパンくらいは焼けるよね。というわけで、それからというもの私たちの天然酵母パンに挑戦!!の日々が続きます。にんじん、やまいも、りんごをすりおろし、小麦粉を混ぜ、酵母種をつくるところからはじめました。失敗、失敗、また失敗。せまいアパートの二階でドタンバタン、パンをこねてる無職の私たち。近所の人はさぞかし「あやしい!」と思っていたのに違いない…。何度も何度もゴムみたいなパンしかできなかったけど、はじめておなべのふたを持ち上げた時の感激といったら…(当時、オーブンすらもっておらず、ガスレンジで鍋焼きパンを焼いてました。)やればできるんだー!!自分たちでやいたパンっておいしい!!自信や喜び、勇気みたいなものは何かにチャレンジしたことのない人にはわからないでしょうね。
このパンづくりの成功が、後の廃屋修理人生の礎となっている気もします。人間のすることだったら、自分たちにも出来る。そう念じ、思い込めば、たいがいのことは成功するように思います。最初からあきらめちゃダメなんだ〜。私たちの天然酵母くんは、度々の引っ越しにも生き続け、12年目の春を迎えます。
今は、近くに神戸屋もあるし、ドイツパンもすぐ手にはいる。昔ほどひんぱんにパンを焼くこともなくなりましたが、今朝も自家製天然酵母パン食べてきて、げ・ん・きで〜す。
 
2000.3.27 >>>
ついに、永田良介商店さんの岡田光司デザインの家具シリーズが店頭(神戸大丸店前)に並びました。うちでは、ほとんど家具に着色をすることがないので、今回の永田さん色になった家具を初めてみた私としては結構新鮮な印象がありました。
お店のリニューアルオープンに、無理くり間に合わせた感があるので、まだ、試作段階の域を出ず、ところどころ気になる箇所が本人もあるようでしたが、全体的には岡田光司らしさがでていたのでは…と思います。椅子はとっても座り心地がよかったし、テーブルもなかなかかっこよくてすっきりしてました。食器棚は、ゴージャスなお値段にびっくりでしたが、シンプルさとありそうでなかった職人技が光っているデザインで、美意識が高く、生活を大事にするブルジョアの方々に使って頂けたらいいな…と思いました。
129年の歴史に岡田光司の名が新たに加わったのだと思うとなんだか、おこがましく、これでいいのかなあってドキドキしちゃうけど、きっと、初代の方のハイカラな家具が店頭に並んだ時も明治の人たちにとっては、とても斬新で、新鮮な驚きだったに違いないと思います。
永田社長さんのお顔をつぶすことがないようにガンバって宣伝していかなくっちゃ。神戸の中心地です。お近くにお立ち寄りの際は、ぜひ、覗いてくださいね。
 
2000.3.17 >>>
「ボク木工家になるわ〜。」無職のオカダ君がそう宣言したのは、帯広の木工作家の方に
「職業訓練校」とやらに行くと一年間ずーっと、失業保険をもらいつづけながら、タダで木工が学べるという、にわかにはなんだか信じがたい「おいしい話」を聞いた直後でした。
「えーっ、そんなこと出来るの〜!?」ログハウスメーカーでアルバイトしていた新婚当初、
丸太の残りで私の鏡台と椅子をつくってくれたことがあるのですが、
たいしてセンスがいいとかうまいとか思えるしろものでもなく…。(現在はベランダで、花台と化しています。)嫁としては、「木工家〜?なんじゃそれー。ちゃんと就職してよねー。まったく…」って感じでしたね。
取材の方がくる度に「今まで長続きしたのは小学校六年間が最高!だから今度会った時は、
陶芸家になってるかもしれませんよ〜」なんてことを半ば本気で語るような人でしたが、とうとう木工は八年目をむかえました。自分たち個人のことももちろん大切なのですが、常に視野を全体に拡げ、ポジティブ志向でやるよう、心がけています。
今は、このビルをいかによくするか、神戸のために私たちに一体何ができるのか…が最大のテーマ。
お金もないくせにアレコレ思案しているので、オカダ君は「ここどこ〜?。イタイわー」と初めて胃の痛みを知りました。
「そこそこ〜、私が結婚してからずーっと、痛かったのはー。」
 
2000.3.11 >>>
就職依頼の資料請求の多きこの頃。うちは、岡田光司、まったくの個人です。ゆえに会社ではありません。ましてや、総務も会社案内もないんだってばー。ちゃんと、調べておくってきてね〜。
お返事書くのも結構たいへんなんだからさー。お客様から依頼を受けると、デザインをおこし、
ゴーサインがでると、南港の材木問屋さんに材料の仕入れに行き、せっせと、つくって納品します。
それらを、すべて一人でやっているんですから、はた目に見ていても、かなりハード。たいへんそうだなーって確かに思います。
現在は工房も間借りだし、自宅とお店もバラバラなので、人の三倍、いや五倍は働いてるなー、たぶん…。
今、進んでいる大手とのお取り引きなどあちらこちらの話がうまくいって、
デザイナーとしての部分と職人としての仕事のバランスが、せめて半々くらいになればねー。
少しは身体の方も楽になるのでしょうけど…。
今は、9割9分といって過言ではない程、オカダ君ひとりでつくって、つくって、つくっています。
先日、アルバイト希望の電話の主の男の子に「ひとりでさみしくないですか!?」って言われちゃいました。さみしくても、ひとりでやらなきゃ、誰も助けてなんてくれないんだよーっていいたかったけど、まっ、いっか!全ての歯車がもうすぐうまく回り始めると確信しています。
お客様の注文の方はお陰様で途切れることなく、いろいろ頂いて…嬉しい悲鳴をあげていますし、
神戸に戻ってからはぎっくり腰も再発してないし〜。よかったよかった!!
「自分の手で創る」ことの楽しさや喜びはきっと、机の上だけで生きている人たちにはわからないことだろうなーと思いますよ。
誰か〜っ、エンゼルさ〜ん。オカダ君に投資しませんかー!?嫁的にもけっこういけてる気がしますけど…。
今、工房の土地(できれば、神戸市内)と資金をご提供して下さる方、探しています。
新工房にはスクールを開講して、自分の手でつくりたい、技術を学びたいと思っている若者を応援していきたいと考えています。
こんな時代だからこそ、夢のあることをひとつずつ、実現していきたいと思っています。
お金はないけど、ガンバるぞー。清く美しく生きるんだーい!!
(ほんの時々、ずるっこをしたり、悪いこともするので「正しく」はきっとムリだと思いまーす。
時代時代、その人なりで正しいの価値観も違うと思うので…あしからず。)
 
2000.2.13 >>>
インフルエンザ恐るべしー!夫婦共々、病に倒れ、日頃の健康の大切さをしみじみ感じ入った次第です。私はなんとか復帰しましたけれど、オカダ君の方は未だ体調がすぐれず…、
ゴホッ、ゴホッと苦しげな咳が続いています。こりゃ、チビッコや老人が死んじゃうのも無理はないよね〜と思うほど、とってもしんどいし、びっくりするほどの高熱は出るし…。
「何か変な病気?!」かと、勘ぐってもみたくなるほど…こんなにヒドく寝込んだことはいまだかつてありませんでした。とにかく、おいしいものを食べて、ゆっくり眠る…!!これしかないとのんびりしていたら何だか仕事がたまって、大忙しに…。店番の方は相変わらず、ボッーとしていますが、オカダ君は注文の製作に追われ、あっちこっちを飛び回っています。
腰がイタイ…なんて泣きごと言わずに、いっぱいお仕事していただかないと…。ガンバってねー!!こんな幽霊ビルでやっていけるのかしらんと、自分たちの商売の心配をしていたら、 親分の方がつぶれてしまいました。ここの管理運営をしていたジャパンマーケットセンターという会社(住友系列です)が、ついに手を引いたのです。
バブルの遺産とも言うべき、まさにゴージャスなインテリジェントビルですからねー。
かなりの赤字を抱えて、以前からたいへんそうだなーとうわさしあってはいたんですけれど…。
とうとうというかいきなりというか…。てなわけで、ここは、神戸市の第三セクターのビルになります。
このことが、果たして吉とでるか凶と出るのか…。
震災の映像をリアルタイムで見て、何とか神戸のためになりたい…と願って、思い切って北海道から帰郷してきた私たちですが、なんかやっぱり、そんな風にころんでいくのだなあーと思うと、おもしろいです。人生は…。
神戸を代表する、世界の家具デザイナーに…という壮大なるオカダ君の夢はほんの少しずつですが、現実味を帯びてきています。
日本でも有名な神戸の老舗の家具屋さんである「永田良介商店」さんの1家具ブランドをなんと!!
岡田光司デザインで立ち上げようとしているのです。
すっきりと、でもゴージャスな…。伝統を重んじつつも、シンプルで飽きのこないブルジョアのための家具です。いよいよ、試作段階には入ってきました。出来上がりがとっても楽しみです。
リニューアルされる新しいビルにお披露目される日も近い!?のかなあー。多いに期待していて下さいね。
 
2000.1.10 >>>
2000年ミレニアムの年が始まりました!今年はどんな年になるのかなあー。
この一年の商売繁盛を願って、西宮のえべっさんに行ってきました。小雨そぼ降る中、
(北海道と違って、雪じゃない!吹雪じゃない!あったかい!しあわせっ〜って思いながら歩いてましたが)おまいりにいったかいがありました。
岡田クン共々、大吉!!オカダ君は大吉男なので、結婚以来、幾度、大吉のおみくじをひきあてたのかわかりませんが、私は子供の頃の記憶をひもといても、全く大吉なんてものとは縁がなく…その喜びやいかばかりか…。今年はいいことがありそうな予感!!。期待しちゃおうーっと。
現在発売中のミマン一月号(婦人雑誌です)p193、手作り木工事典p146、147にちらりとご紹介頂いてます。
本屋さんでのぞいて見て下さいねー。では、皆々様、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。